擁翠園について

日本庭園 擁翠園の歴史は室町時代に遡り、足利四代将軍 足利義持の管領 細川満元が、金閣寺造営の余材をもって築いた邸宅がその始まりです。この邸宅は、応永三十三年(1426年)細川満元の没後、岩栖院(がんすいん)という寺に改められ、慶長十五年(1610年)徳川家康から旧領として後藤長乗に与えられました。代々金工を業とし、特に刀装の金具に優れた技術を伝える 後藤家の次男であった後藤長乗が、その後加賀藩第二代藩主前田利常や、武家であり茶人であった小堀遠州の助力を得て造園した 庭園が擁翠園です。江戸時代に発達した日本庭園の様式「池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)」で作られ、琵琶湖を模した池の周りには、しだれ桜、花水木、紅葉、白椿など四季折々で花が咲き、趣き深い風情を漂わせています。